【ローマ】サン・ピエトロ大聖堂 その後のカトリック教会 Roma - Basilica di San Pietro and Subsequent Catholic church
サン・ピエトロ大聖堂の内部には、ベルニーニのバルダッキーノやミケランジェロのピエタ像など、こちらが圧倒されてしまうアート作品に溢れている。
その広い堂内を歩いていくと、天井や壁の細かい部分にも目が届く余裕ができてくる。
神の栄光を讃えるために、当時の一流の芸術家や職人たちによって作られたのだろうそうした絵や彫刻は、見るものを飽きさせない。
それらの一つ一つをじっくりと見ようとしたら、一体どれくらいの時間がかかるのだろう。
そんなことを考えながら、人々の歩く流れに促されて、ゆっくりと大聖堂の中を進んでいく。
The interior of St. Peter's Basilica is full of overwhelming works of art, such as Bernini's Baldachin and Michelangelo's Pieta statue.
As you walk through the large hall, you can afford to see the details of the ceiling and walls.
Such paintings and sculptures, probably made by the leading artists and craftsmen of the time to praise God's glory, will not bore you.
How long would it take to take a closer look at each of them?
With that in mind, I was encouraged by the flow of people walking and slowly proceeded through the cathedral.
この壮麗なサン・ピエトロ大聖堂は、ルネサンスとバロックの時代に巨大な権力を持った歴代の教皇たちによって作られて、完成した。
しかし、栄華を誇ったローマ・カトリックの権力は、世俗的なヨーロッパ各地の王たちが勢力を拡大していくについれて、次第にその影響力を失っていった。
1676年に選出されたインノケンティウス11世は、財政難を理由に贅沢禁止令を出した。計画されていたベルニーニのサン・ピエトロ広場の入り口の部分の建設も中止された。
教会の中からも、それまでの芸術を利用したカトリックの布教を見直す動きが出てきた。
This magnificent St. Peter's Basilica was created and completed by successive popes with enormous power during the Renaissance and Baroque eras.
However, the glorious Roman Catholic power gradually lost its influence as the secular kings of various parts of Europe expanded their power.
Pope Innocent I, elected in 1676, issued a luxury ban because of financial difficulties. The planned construction of the entrance to St. Peter's Square in Bernini was also canceled.
From within the church, there has been a movement to review Catholic missions that used the art of the past.
その後のローマ教皇は、もう歴史の主役となることはなかった。
ピウス7世は、ルーヴル美術館にある有名なナポレオンの戴冠式を描いたアングルの作品に描かれているが、彼の役割はナポレオンの権威を支持するだけの脇役に過ぎない。
The subsequent Pope was no longer the protagonist of history.
Pius VII is depicted in Angle's work depicting the famous Napoleon's crowning ceremony at the Louvre, but his role is merely a supporting role in Napoleon's authority.
第二次世界大戦の時期、教皇たちはヒトラーやムッソリーニと対峙しなければならなかった。
ピウス12世は、ヒトラーによって迫害された多くのユダヤ人たちを保護して、戦後になってからイスラエルに表彰されている。
しかしその一方で、1933年に教皇庁がナチス政権と締結したライヒスコンコルダートは、ローマ教会がナチス政府を公認したとされ、大きな批判を招いた。
実は、ピウス12世も実はヒトラーのユダヤ人の迫害に加担していた、というドキュメンタリーもある。
いずれにしても、ヨーロッパが危機の時代にあって、教皇は常に状況に対して受け身の立場に立たざるを得なかった。
コメント
コメントを投稿