【ローマ】サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会 Roma - Santa Maria delgi Angel e dei Martiri



ディオクレティアヌスの浴場は、ローマの中でも最大の大きさを誇っていたこともあり、現在ではそのかつての敷地の中に、様々な建物が作られている。

かつてのテルマエの建物の一部を利用して建てられたのが、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会で、1561年にローマ教皇ピウス4世がミケランジェロに建築を依頼した教会だ。

Diocletian's baths were once the largest in Rome, and today various buildings are built on the former site.

Part of the former Thermae building was used to build the Church of Santa Maria degli Angeli, which Pope Pius IV commissioned Michelangelo to build in 1561.






ピウス4世は、ミラノ出身でメディチという名前だが、フィレンツェのメディチ家とは関係がない。

前のパウルス4世が野心的な教皇で多くの敵を造ったが、その反省からかピウス4世は温和的な政策を進めて、長く停滞していたトレント公会議を終結させた。

このトレント公会議で決まったキリスト教の教義や制度は、その後のカトリック教会に長く引き継がれることになった。

Pius IV was born in Milan and named Medici, but he is not related to the Medici family in Florence.

The previous Pope, Paul IV, was an ambitious pope who had made many enemies, but perhaps in reflection, Pius IV proceeded with a moderate policy and brought an end to the long-stagnation of the Council of Trent.

The doctrines and systems of Christianity that were decided at the Council of Trent were to be taken over by the subsequent Catholic Church for a long time.





ミケランジェロがこの教会の建築を依頼された1561年には、ミケランジェロはすでに85歳になっていた。

すでに古いバシリカが建っていたので、ミケランジェロはその遺構を活かして内部に巨大な宗教空間を作り上げている。

当時、ミケランジェロはサン・ピエトロ大聖堂の建築責任者を務めており、同時にピア門の設計なども行っていた。

この教会に関して、ミケランジェロは基本となるアイデアだけを出して、詳細な設計は弟子たちが行ったのかもしれない。

そして、ミケランジェロは、1564年にこのローマの地で激動の88年の生涯を静かに閉じた。

In 1561, Michelangelo was already 85 years old when he was commissioned to build this church.

Since an old basilica had already been built, Michelangelo made use of its remains to create a huge religious space inside.

At the time, Michelangelo was in charge of the construction of St. Peter's Basilica, and at the same time he was also designing the Pia Gate.

For this church, Michelangelo may have given only the basic idea, and the detailed design was done by his disciples.

In 1564, Michelangelo quietly ended his turbulent 88-year life here in Rome.






イタリアに来る前は、ミケランジェロと言えば、ダヴィデ像やシスティーナ礼拝堂の壁画などのイメージが強かったが、フィレンツェやローマでミケランジェロが関係した多くの建築作品を目にして、少し印象が変わった。

とりわけ晩年のミケランジェロは、建築家としての活動が多かったのではないだろうか。

ミケランジェロは、この時期にピエタ像を彫っていたことが知られている。

その内の1点は、フィレンツェのアカデミア美術館で目にした。

そして、この旅の先、ミラノでもう一つのピエタ像に出会うことになるだろう。

Before coming to Italy, Michelangelo was associated with the statue of David and the mural paintings of the Sistine Chapel.

In particular, Michelangelo in his later years may have been active as an architect.

Michelangelo is known to have carved the Pietà during this period.

I saw one of them at the Accademia Gallery in Florence.

And on this journey, he will meet another Pieta statue in Milan.






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